11年目の、3.11。
壊れやすいガラスに纏われた、いのちの灯りの連なり。
毎日、いのちの尊さを考えない日はない状況が続いていること。
本当に、心が痛みます。
でも、紛争や内戦や侵攻は、今回のウクライナ情勢にはじまったことではなくて、ついこの間もアフガニスタンや、シリアの難民がヨーロッパにやっと辿り着いた時に、受け入れる状況ではなかったり、あるいは、ある国では、中東からの難民に対する偏見から、行動制限を強いた挙句、他の国がその難民の人たちの受け入れを発表した途端に、大歓声が上がるような状況だったり。
自分自身、そのようなニュースを見ていたのにも関わらず、本当の意味で、自分のこととして受け止めていなかったこと。今回は、「西側」のカテゴリーに含まれる国が侵攻されているから、身近に思ってしまっている自分に、同時に罪の意識も生まれています。
今日は震災から11年。それからも、これまで、たくさんの災害が日本をはじめ世界中で起こり続けています。天災で命を失うこと自体、耐えられない苦しみなのに、それが人為的な戦争という形で、人の生きる権利を奪う状況をリアルタイムで目撃して、私たちは証人になっている。
第二次世界大戦から学んだ、数えきれないこと。「歴史は繰り返す」という言葉が、脳裏に映る時、どうしたらそうなってしまうのか、何がそれを導いていくのかを、改めて深く認識して、ちっぽけでも、一人間としてできることを考えて、具体的に行動したいと、心に誓いました。