Jun's Light

Jun’s Light | the beauty of transience

ブログ Blog

2025.8.27旅の記憶 #16

アイスランド二日目。
ゴールデンサークルに沿って、はじめに目指したガイザー(湧き出る泉)は、珍しい青空の丘丘を越えていくと、突如出現しました。

ものすごい飛沫をあげて、大地めがけて込み上げてくるエネルギーは、地球と会話している感覚になりました。

遊歩道の途中、アイスランドの政府が実験的に、遊歩道を構成する4種類の建材を集めて、訪問者にどれがいいかアンケートを募っている場所がありました。ハードなものを作りっぱなしにするのではなく、日々、自然にとってもより良いものはどうすればいいのか、私たちに問いかけをして共同体として取り組む自然環境保護は、素晴らしいと思いました。

この透き通った群青色!高温のガイザー。

スナイエとのガイザーショット。
彼女がずっと英語で案内してくれて、「英語、素晴らしいわ!学校で頑張っているのね〜」というと、「違うよ!全部独学でYouTube!!好きなドラマとか漫画とか、ドキュメンタリーを何度も何度も見たら覚えちゃったみたい。わかりたいっていつも思っていたら、知らない間に喋れるようになってたの」と!
興味のあることから言語はどんどん広がっていって、気がついたら高い壁だと思ったものが自分の味方になってくれている。。。自分も、30年以上前のあの頃はYouTubeはなかったけれど、好きな音楽や映画がきっかけで英語を身につけたいと強く思ったのを思い出しました。英語の子音の多いサウンドが好きで、もっと遡ると父が1950・60年代の洋楽を聴き音に合わせてまねて意味がわからないけど歌っていました。時々兄と英語の歌を空耳アワーっぽくして遊んでいたり、何だかんだ英語に触れていたのかもしれません。楽しみながら真似っこしていた英語も、道具として使う存在になると、自分は考えているのに、大学の授業でみんなの前でうまく伝えられないと、何も考えてないように思われたり、そんな悔しい思いの繰り返しを数えきれないほどしました。今でも感謝しているのは、そんな私を大事に思って辛抱強くコミュニケーションをとってくれた友人達と教授のおかげでした。知らない間に英語で夢を見て、英語で口論になったり、英語で感動を共有したり。。。そういった小さなことの繰り返しが、今の私を作ってくれているんだなあと、スナイエと歩きながら頭をよぎりました。

ガイザーをあとにし、30分くらい進むと、この光景が目の前に広がっていました。

言葉を失ってしまった私。
マイナスイオンのシャワー。

水の力。大地の力。

車輪だけで私の背丈よりも大きなバス。
スケールが大きすぎて、自分が小人になった気分でした。

エヴァリン達が、「こんなお天気は去年なかったわ」と、それくらいスペシャルな太陽に恵まれて、車は進み、溶岩が間近で見える場所に行きました。

溶岩石を尊重した遊歩道の作り。

エヴァリンと。溶岩積群から落ちる滝の前で。

滝から辿る、エメラルドグリーンの川。

川が流れていく先は、このランドスケイプが広がっていました。
自然しかないところに、ひっそりと佇む教会が見えました。

キャタンに、「どこにも集落がないのに、なんであそこだけに教会があるの?」と聞くと、「古くはヴァイキングの時代から150年くらい前までこの辺りを整備してする過程で集落を形成して、その名残りなんじゃないかなあ」と言っていました。ヴァイキングの時代は血を流さないエピソードはないと良く言われているけれど、ヴァイキング達も漁師や農家としても生活をしていたそうです。

アイスランドの国旗。

やっぱり気になる鳥さん。今日はいいお天気だから、気分も違うんじゃないかしら。

日時計。
デジタルの感覚から束の間解放させてくれました。

歩き続けて体は暖かくなりましたが、それにしても、キャタン!ショートパンツはどうなのかしら。。。これがアイスランディックなのね!

つづく

2025.8.23旅の記憶 #15

一夜明けたアイスランド。
グラスにたっぷりのミネラルウォーターですっきりと目覚めたあとはエヴァリンのお母さんのいつもの朝食が待っていました。

ゆで卵とアボカドのスライスとポテトサラダ。トーストにバターかチーズをのせて、日本でいうタラコのペーストかジャムでいただくのがアイスランド風。このタラコペーストがしょっぱい好きの私にはたまらなく美味しくて、”wow,so good, so good…”のオンパレードでした。コーヒーも美味しくて何回おかわりしたかしら。

キャタンも途中で起きてきて私たちの朝食チームに合流。日本ではあまり習慣のない、大きなチーズをチーズグレーダーで削ぎながら食べるのもアイスランド風。アルプスの少女ハイジのチーズとはまた違った魅力のチーズの食べ方で、私も日本に帰ったらクセになりそう。。と思いながら見ていました。

朝食の後は、日本から持参したお土産を開けるセレモニーが始まりました。ひょうきんなキャタンは、小樽のミツウマのサコッシュをなぜか頭にかぶりながら、”This is cool!”と言う始末。。なるべく北海道のものを持っていったので、アイヌの紋様のお茶缶など、ご両親がとても喜んでくださいました。

小樽で生まれて12歳になるスナイエ。この世で一番好きという日本のインスタントラーメン(特にミソ味ですって)をずっと抱きしめているので、あんまり触っていると中身がボロボロになっちゃうわよと言われながら、私と目が合うたびに”I love this, Jun! I love you, really, do!” (笑)と本当に喜んでいました。

「小樽で生まれても、日本の永住権とかは関係ないの?」と聞くと「残念だけどそれはないのよー!」とスナイエが生まれた時のことをみんなで振り返っていました。

ご両親が家族総出で建てた平屋のログハウスは、とても稀な晴れの天気に恵まれて、透き通った風が通り抜けていきました。

お庭には、ご両親の自慢の家庭菜園があり、この時期はルバーブがたくさん生えていました。
「あとでランチにルバーブジャムを出してあげるわ」とお母さん。
お父さんは、スペインにまた夫婦で帰る前に、庭整備をしています。寒い気候がベースのアイスランドだけに、家庭菜園は大切な生活の一部で、少しでも植物や作物を育てて土地の恩恵を楽しむ習慣があるのが伝わってきました。

お昼は、ミートボールご飯にルバーブジャムと唐辛子のジャムを添えていただきました。
私がおいしいおいしいとムシャムシャ食べていると、エヴァリンとキャタンがニヤニヤこっちを向いていて、「純、このお肉何かわかる?」と聞くので、「牛豚の合い挽き?」と答えると、「ネーイ!(no)」と言って「これは純がいつも苦手と言っていたラム肉のミートボールなのよ〜」と!本当にフレッシュで何にも匂いもしないので信じられませんでしたが、地域でお願いいしているラムの農家さんに新鮮なラムを一頭単位で譲ってもらっているのだそう。それを大事に家で全てプロセスを経て保存し、少しずつ大切に食べていくそうです。

その日は、アイスランドでもとても有名な地形を網羅するゴールデンサークルに沿ってドライブすることになりました。ご両親ともここでお別れです。またきっと会えることを願って、ログハウスをあとにしました。

お天気に恵まれた日。Lucky us! 目指すは湧き出る泉、ガイザーを目指して出発です。

つづく

2025.8.21お盆休み

皆様、今年のお盆休みはいかがでしたか?本当に暑い日々が続いていたので、北日本も含めて大変でしたね。
体調崩しておられませんように。。。

MUSEは8/17から19日までお休みをいただきました。
その間、主人と横浜から来たお友達はいざ函館へバイクツーリング!
行きは豪雨だったみたいでしたが、長万部のあたりで雨は止み、そのあとは北海道ビッグスカイを堪能しながらのツーリングになったそうです。毎日本当に忙しくしている主人にリフレッシュしてもらいたかったので、お天気も手伝って大満足で帰ってきてよかったです。

私はというと、藤沢から帰省してきていた兄と、父と茨城から父のところに長期滞在していた叔父叔母との交流を中心に過ごしていました。兄とは、久しぶりに本屋さんに行って、兄に勧められていた谷川俊太郎さんの「行き先は未定です」を手に取りました。夜寝る前に、ゆっくり読んでいます。

今日はお庭の手入れで、おんこの木の剪定を一気にしました。暑いピークを過ぎた後のような風が天狗山から吹いていました。ギボウシも花を終え、葉っぱが少し黄色がかって乾燥してきたら、夏の終わりのサインですね。
ラベンダーも終わり、忙しかったハナムグリさんたちも姿を消し始めました。

まだ刈り取っていないラベンダーの下には、去年亡くなった真っ白なアルビノのセキセイインコ、ルルちゃんが眠っているのですが、お盆期間中、ずっとルルちゃんと同じ色のモンシロチョウが一頭だけ毎日姿を見せていました。私がお庭に出ていない時は、窓辺に近づいて私が気づくとフワッとラベンダーのところまで戻るのを繰り返していたのです。
多分ルルちゃんがお盆に戻ってきたのかもと、心がとても癒されていた日々でした。

また次回のブログは、旅の記憶、#15アイスランドのエピソードからですね。思い出を辿りながらまた書いていきたいと思います。

2025.8.13旅の記憶 #14

ウィーンを夜の9時に出発してから約3時間半、空から見下ろすと、アイスランドの国土が見えてきました。

アイスランドの首都・レイキャビックの街の夜景。もう11時過ぎているのに、空からは夕方のような感じでした。

空港に降り立つと、出迎えてくれたのが、大きな木の柱と梁が印象的な空間で、温もりのあるモダンな雰囲気が感じられました。荷物をピックアップして、いざお友達のエヴァリンとキャタンは待っててくれるかしら。。。

さすが!迎えにきてくれていたのは大きなキャンピングカー!12年ぶりの再会に、お互い信じられない気持ちで抱き合いました。写真も撮る暇もなく、機関銃の様にそれぞれが近況を語り始めて、向かうはエヴァリンのご両親がスペイン滞在から久しぶりに戻っていたご実家。

真っ暗闇の中をキャビンは進み、突然広がったラグーンのブルーに、美しくもミステリアスなアイスランドの自然美に眠気も吹っ飛びました。なんて神秘的なのかしら!

エヴァリンとキャタンとの付き合いは、小樽ではじまりました。エヴァリンが小樽商科大学の交換留学生として家族全員を連れて2012年にアイスランドからはるばる小樽にやってきた年、私たち夫婦が経営している洋食レストラン小樽MUSEの常連のお客様に連れられて来店したのがきっかけでした。実はその時エヴァリンは妊娠していて、在学中の2月に小樽で出産予定で、同行していた子供達(ヨークル:5歳とギッタ:4歳)も小樽市内の幼稚園に通い始めていたところでした。キャタンは、夫、またお父さんとして同行して、エヴァリンを生活面と育児で全面的に支えていました。

夫婦は英語を話すことができましたが、子供達はまだ英語も習う前で、アイスランド語のみだったので、ホームシックと言葉の壁が大きく、幼稚園でも本当に頑張って他の子供達についていって日本の文化に馴染むように努力をしていました。
家族でカルチャーショックも経験していたエヴァリンたちと、私たちの家族もその時、息子が若干10歳で大怪我をして手術を繰り返していたときで、娘もまだ保育園だったので、色々とお互いに辛かった日々を、言葉の壁を超えて励ましあいながら過ごして絆を深めていきました。

そして、2月の吹雪の日に、大学の寮の家族が暮らす部屋で、エヴァリンは赤ちゃんを出産しました。朝4時くらいにキャタンから私に電話があり、夫婦で駆けつけると、まだ臍の緒も切っていない状態でエヴァリンが苦しそうにしていました。すぐに主治医に連絡して指示を仰ぎ、救急車で病院まで運ばれました。子供達も心配そうにしていたけれど、みんなで頑張って乗り切りました。母子ともに健康で、みんなで喜びを分かち合いました。

赤ちゃんの名前は、雪降る小樽の街で生まれた白雪姫という意味の「スナイエ」と名付けられました。初めて抱っこさせてもらえた時のことは忘れられなくて、エヴァリンも、異国の地で本当によく頑張ったと思うと、その愛情の深さと強さに感動した自分を覚えています。

主人がもう寮に一旦戻ったキャタンと子供達の「頑張ったで賞」として、みんなが大好きなMUSEのピザを差し入れようと、病室にいたエヴァリンに「これ、キャタンと子供達に食べさしてあげてね」と置いていくと、病院からの出産を終えたお母さんに出される豪華な「お祝膳」もペロッと平らげていたエヴァリンは、なんと!大好きなピザも食べてしまったのでした。これは一生残る笑い話として今回再会した時も幾度となく話題にあがりました(笑)。

もう一時を過ぎていたので、再会の興奮が冷めていなかったのですが、ご両親のお家に到着して、みんなすぐに休むことにしました。素敵なログハウスの平屋は、とても暖かくて、お母さんが歓迎の印に、早速アイスランドのお水を飲ませてくれました。このお水の美味しいこと!何が違うのかしら。。。今まで飲んだお水の中で、ダントツ一番のミネラルウォーターが、キッチンの蛇口から惜しみなく流れ出ているなんて、衝撃でした。

深い眠りから覚めた翌朝は、コーヒーよりも先に、冷たいアイスランドのミネラルウォーターで始まりました。

つづく

2025.8.8旅の記憶 #13

ウィーンの滞在も終わりに近づいてきました。

空港に行く前に最後に訪れたのは、レオポルド美術館。
ウィーンでも特にエゴン・シーレの作品を多数収蔵していることで有名ですが、今回はクリムトの作品を中心に観覧してきました。

クリムトの初期の作品も多く観ることができる展示となっていたのも印象的でした。

伝統的なタッチから、のちの分離派を形成していくまで、クリムトならではの表現に変わっていく様子も作品群を観ながら感じられました。

そして、ある時期は、四角形の風景画がたくさん描かれました。

ため息が出る水の色合い。

風景画の構図、遠近、カラースキーム、質感。実際の景色とクリムトの審美眼を通したイマジネーションの世界観が交差しているところに私たちを連れて行ってくれているようでした。クリムトの短い生涯を考えると、たった一度の人生に、これだけたくさんのことを人々に伝えることができる作品を残した芸術家が住んだウィーンの街が、これまでよりももっと魅力的に映りました。

名残り惜しい気持ちを胸に、地下鉄でウィーン・ミッテ駅へ。

ウィーン国際空港までなんと16分で連れてってくれるエキスプレス。それでもたった16分間の間でしたが、目が疲れていたせいか爆睡でした。。。

ちょっと疲れ気味だった私をフルリチャージしてくれたのが、息子がブッキングしてくれていたラウンジでした。
ここで待っていたのは、オーストリア料理のブッフェ。牛スネ肉の煮込みにりんごとホースラディッシュのザワークラフト、ポテトにダンプリング。上質な家庭料理をいただいているような、心も体もどんどん元気になっていくような感覚でした。ラウンジはとてもゆったりしていて、家具もブルーグレイのレザーで、60~70年代のヴィンテージモダンな直線美のソファーとテーブルでした。ラウンジのお食事のことを思い出すだけで、またウィーンに行きたくなるくらい、素敵な空間でした。

初めて乗る、オーストリア航空。
WOW!客室乗務員のユニフォーム!ストッキングからハイヒールまで、目も覚めるようなブライトレッドに身を包んでいました。

ウィーンから4時間。目指すはアイスランドへ。

つづく

2025.8.5旅の記憶 #12

ベルヴェデーレ宮殿。

入り口の階段を登ると、なんとも言えないコーラルレッドピンクのオブジェがお出迎え。異質な色使いを荘厳な背景に合わせる展示にびっくりしました。

ここからは、クリムトの作品が待っていました。

詳細で緻密な描写と全体像とのコントラスト。クリムトの世界観を余すことなく遠近から満喫できる空間でした。
当時のウィーンにおいて、自分ならではのスタイルを探求していったクリムト。理解されないことへの苦悩というより、自分から出てくる表現の独自性を出しきるエネルギーが感じられました。もちろん依頼された女性の肖像画もありますが、分離派会館にあった壁画「セセッシオン」からも感じた、人間という美しくも醜い、歓喜と深い悲しみ、そして私たちの存在意義も考えさせられる作品群は圧巻でした。

そして、オスカー・ココシュカの作品。
彼の半生を描いた映画を見たのがきっかけで、特に今年に入ってココシュカに関するドキュメンタリーを観ていました。ココシュカならではの感情が滲み出てくるような人間描写のタッチを生で観ることができ、本当に感激でした。

クリムトの展示室からも、歴史や美術の教科書や資料集で一度は見たことのあるものばかりで、2時間ではとても観れきれませんでした。ウィーンの街を見渡せる庭園に下りながら、また必ず来たいと思いました。

流石に歩き続けていたので足もガクガクになったところで、近くにシュニッツェル(オーストリアの代表的な薄いカツレツ)が食べれるレストランでひと休憩しました。直径30cmくらいはあったかしら。食べ切れるか心配でしたが何のその、ペロでした。一人で食べていたら、一つ前に座っていたジェントルマンから声をかけられて、ルーマニアから来られている方でした。やはりヨーロッパは地続きなので、隣国にちょっと出かけることが可能なので、ルーマニアのアイデンティティーを持っているのだけれど、ヨーロッパ人という括りの感覚も話を聞いてると感じられました。話が弾んでいると、店主のおじいちゃんがプチデザートをサービスしてくれて、初めての場所がとってもアットホームに感じました。ドイツ語が話せていたらもっと楽しかったかなと思いました。

次はウィーン最後の目的地、レオポルド美術館へ。

つづく

2025.8.3すーちゃんの振袖

あっという間の20年。
東京で大学生をしている娘のすーちゃんが、先日二十歳になったのを記念して、彼女の帰省に合わせて写真撮影をしました。来年1月の成人式には来れないかもしれないし、真夏だけれども、お誕生日に一番近いうちに撮ろうかということになりました。

もう何年も前から、公私共に深いお付き合いの宮平桐さんとお母様から、すーちゃんが二十歳になったら彼女が成人式に着たお着物を是非とお話をいただいていて、今回すーちゃんの晴れの日を桐さんの着物で彩ることができました。
当日は、桐さんもお母様もご一緒してくださって、家族みたいに最後まで過ごすことができ、すーちゃんも胸がいっぱいのようでした。

子供達がこうして温かく見守られて健やかに育っていることに、親として改めて、皆様に感謝を申し上げます。

すーちゃん、成人おめでとう!

2025.7.29旅の記憶 #11

ウィーンの朝ごはん。
まずはカフェラテを頼むと、ハートのマークのミルクフォームを笑顔で持ってきてくれました。驚いたのは、パストラミやハム、そしてパンの種類の多さ!
気になったライ麦のパンをたっぷりのハーブクリームチーズとハムとベーコンでいただきました。
朝ごはんを食べながら、日本から持ってきたお気に入りのガイドブックを熟読。今日はジークムント・フロイト博物館とベルベデーレへ行こうと決めました。地図を見ると歩けそうな距離。行ってみよう!

美術史美術館と自然史博物館の間にある手入れの行き届いた庭園を潜っていくと、ウィーンの市庁舎を抜け、緑の公園が広がってきました。

公園の入り口付近には、オーストリアの「祖国の父」と称されているカール・レンナーの記念碑に花が手向けられていました。カール・レンナーは、第一次対戦後の最初のオーストリア共和国のリーダーとなり、またナチスによる政権崩壊直後のオーストリア共和国も率いた政治家でした。東西の分断が必然だとされていた中、それを何とか回避したことは、今もオーストリアの人々の心に深く刻まれているのではと思いました。

しばらくゆっくりとしていたら、なんか視線を感じたので足元を見てみると、そこには鳩さんよりも2回り小さい真っ黒な鳥さんがいました。日本語だったけれど、「あなたどうしたの〜?」と話しかけると、逃げもしないで、私の周りをうろうろしているのです。

ふっと頭を過ったのは、去年の春にお別れした我が家の愛鳥、ルルちゃん。もしかしたら、私と一緒に旅をして見守ってくれているのではと思ったら、泣きそうになりました。
なかなかお別れするのは辛かったですが、「またね」と公園をあとにしました。

ウィーン大学を左に見ながら、トラムが交差する大きな交差点を過ぎると、閑静な住宅街が広がっていました。
もうそろそろフロイト博物館があると思うのだけれど。。。

なだらかな坂を降りていくと、見えてきたドア。表札のベルをならし、階段を上がりドアを開けると、フロイト精神分析の世界に引き込まれた気持ちになりました。

ここは、フロイトが50年も自宅として暮らし、研究、診療していたオフィスでもあった場所。精神分析学の発祥の地とされています。当時のフロイトが執筆した様々な研究資料、家族たち、精神分析に使われていた旅から持ち帰った異国情緒あふれるオブジェの数々…。

あの有名なソファに寄りかかりながら、ここで夢診断がされていました。

当時住んでいた時の家の壁紙や家具の配置、子供たちの精神分析の場所となった中庭の見えるお部屋、診察室の情景など、私たちがイメージしやすいように細部に渡って構成されている博物館でした。

また、精神分析の概念が、私たちの無意識の世界を理解する手掛かりになり、現代の精神医学のベースとなっていることを、今実際に精神分析研究している学者たちや精神分析を用いてカウンセリングしているセラピストたちの様々なインタビュー映像を通して学ぶことができました。朝早かったのに、来場者が多くてちょっとびっくりしたのですが、ここまで深く分かりやすく精神分析のことを学べる場所がフロイトのお家で、本当に世界中からここを目指してきているんだと思うと、最もだと思いました。

フロイトのドクターズバッグ。
初めて訪れたのに、すごくプライベートでパーソナルな空間。心地よくて名残惜しかったのですが、博物館をあとにしました。

地下鉄で、ベルベデーレ宮殿を目指して出発。

ベルベデーレ美術館の上宮、ずっと観てみたかったグスタフ・クリムトの絵画とオスカー・ココシュカの絵画を目指します。

つづく

2025.7.26旅の記憶 #10

ウィーンでの今回の一番の目的は、グスタフ・クリムトが1897年に他の芸術家と共にそれまで所属していた保守的な美術家協会を脱退し、新たな芸術家団体「分離派」を立ち上げ、翌年その象徴ともなる建築物「セセッシオン(分離派会館)」を訪れることでした。

通称「金のキャベツ」と呼ばれている月桂樹の葉の球の形をした装飾は、とてもシンボリックで、なんだか魔法にかかったかのように、その場所からいつまでも離れたくない気持ちになりました。

入り口にある、ラピスラズリ色のモザイクの植木鉢、そして3人のメデューサたちが迎えてくれました。

分離派会館のハイライト、クリムトが制作した「ベートーヴェン・フリーズ」。壁一面に描かれたこの作品は、長さが34mもある大作。1902年のベートーヴェンの展覧会のためにクリムトが手掛けました。これは、ベートーヴェン交響曲第九番を視覚的に解釈・表現したものでした。

地下には、一人だけ学芸員のお爺さんが立っていて、私にヘッドホンを渡して手振りでどうやって鑑賞したらいいかを教えてくださいました。壁をゆっくりと巡りながら、ヘッドホンから流れてくる臨場感あふれるベートーヴェンの第九。クリムトが描こうとしていたテーマ。壁画を観ると涙が止まらなくなってしまったので、中央にあるベンチにしばらく座って下を向いて目を瞑っていました。そのまま約1時間はいたでしょうか。最後に学芸員にヘッドホンを手渡して階段を上がりました。

音楽と絵画の究極のコラボレーション。
時代を経て、クリムトの精神が宿っている分離派会館。
また必ず訪れたいです。

つづく

2025.7.20旅の記憶 #9

ウィーンのホテルに到着してから、まずは一息。
新しいホテルでしたが、コンセプトが”Earthbound Design”のインテリアは、サンドカラー(砂)と有機物の曲線をなるべく天然の素材で表現して、ミニマリスティックに構成されていました。全てが絶妙に主張しない創りで、とっても心身に優しく馴染む環境に、旅の疲れを芯から癒してくれました。異国で初めての感覚。

できればずっとあと1週間くらいこのホテルにいれたら最高なのに。。。と思いながら、今日中に予約していた美術史美術館へ行く準備にかかりました。ホテルはちょうどミュージアム・クウォーターと呼ばれる美術館地区にあるため、レオポルド美術館、自然史博物館、近代美術館が立ち並ぶ界隈で、市民の文化的な憩いの場でもあるので、それだけでもう何日も滞在できる場所でした。

美術史美術館。古代〜19世紀までのヨーロッパ各地の美術品を収蔵する壮大な建物に息を飲みました。

来場者を出迎える階段上の壁画は、グスタフ・クリムトが担当したもの。今回の旅の大きな目的の一つ。

キャンバスの上だけではない、建築物の装飾美を創り出す芸術家として関わっていたクリムトの作品を観れたのは圧巻でした。どこか、エキゾチックさもあり、従来の伝統的な枠から更なる昇華を目指しているような、まさに分離派を率いたクリムトのエッセンスを醸し出していました。

美術史美術館は、ブリューゲル一族の作品を多く収蔵していることでも知られています。これはその中でも世界的に有名なピーテル・ブリューゲル1世の傑作「バベルの塔」。その他、「雪中の狩人」をはじめとするたくさんの作品が展示されていて、札幌芸術の森美術館で、2018年にブリューゲル展の展覧会の灯りを制作した時のことを思い出しながら、深い色使いと詳細な人物像の感情表現に見惚れていました。

こちらはフェルメール。光の取り込みと全てのものの質感。なんて美しいのでしょう。
数少ないフェルメールの作品は、思ったよりも大きくて、ゆったりとした静かな空間にさりげなく飾られていました。
観覧の列もなく、来場者たちが譲り合いながらゆっくりと絵を鑑賞する空気がとても心地よかったです。

ホテルに戻ると、バルコニーから見えたのはサンセットの空とウィーンの街。

照明を付けずにいたお部屋は、気づけば天窓から月あかりに照らされた空間に変わっていました。
静かに流れる独りの時間。

つづく

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