Jun's Light

Jun’s Light | the beauty of transience

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2025.7.9旅の記憶 #7

プラハの滞在も終わりに近づいてきました。

想い出ボックスを日本に送ろうと思い、訪れたのは郵便局の本局。
中に入ると、一気にタイムスリップしました。ここは建物の中なのか外なのかわからなくなってしまうくらい広いスペースに、それぞれのガラスの窓口があり、自分の番号を呼ばれて用件を済ます仕組みでした。

ちょうど私が行った時間は空いていたので、三十代くらいの女性の担当者にすぐに呼ばれました。
チェコ語が話せない私をすぐに察して、英語で丁寧に手続きに取り掛かると、「日本行き」の文字を見て、「あなた日本から来たの!?私いつか行ってみたいと思っているの!」と、満面の笑みに。彼女の英語がおそらく第3か第4カ国語のように聞こえたので、「もともとどこ出身なの?」と聞いてみると、「ウクライナなの。」
その瞬間、なんとも言えない気持ちになって、思わず私が手を胸に当てて大きく頷くと、彼女もそれを受け止めてくれて、二人でしばらく無言で見つめあっていました。手続きが終わり、「ありがとう、頑張ってね」とお辞儀して郵便局を後にしました。

なんだか胸がいっぱいになりながら、街歩きを続けると、靴の仕立て屋さんだったり、お菓子屋さんが立ち並ぶ裏路地に入って行きました。観光客も少ない地域なので、時折地元の人たちが外で仕事の合間にタバコを吸いながら休憩している光景が印象的でした。

ショッピング街が立ち並ぶエリアも、プラハ独自の建築美を満喫できました。結構工事中のところも多かったように思いました。でも、あくまでも内装の工事で、建物の外装はこれまでの歴史と様式美をそのまま引き継ぐようにしているようでした。

路地を進んでいくと、必ずにぎやかな大通りに通じているので、ポイントとなる建物とアナログ地図を手がかりに、目指すはカレル橋へ。

真っ青な空に、夕陽がプラハの街を照らす時間。
モルダウ川に沿ってゆっくりと歩いていくと、カレル橋が見えてきました。

ショートビデオも撮ったので、こちらをクリックしてみてくださいね↓
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明日はいよいよウィーンへ。

つづく

2025.7.6旅の記憶 #6

プラハでの2日間は、全て徒歩で街を巡りました。おかげで、地理感がすぐについて、ラストの方は近道もできるように(笑)。

まさかプラハにあると思わなかった、Hard Rock Cafe。旧市街の一角にあるのですが、外壁がとても印象的で、今まで世界で見かけた中で一番街に馴染んでいました。

私は街歩きをすると、小樽でもつい建築物のドアに目が行ってしまって、プラハでもたくさんのドアの写真を撮りました。ドアの向こうにどんな人たちが住んでいて、それぞれに人生があって、長い歴史とストーリーがある…、と色んな想像を巡らせていくと、その街が少しずつ心に近い存在になってきて、豊かな気持ちになるのです。

そして、プラハでのお食事も、街を知るきっかけになりました。

ここは分厚いミディアムレアのビーフハンバーガーで有名なお肉屋さん。MUSEのシェフの主人がハンバーグ職人なので、少しでもお土産話ができるかなと思ってトライしてみました。

こんなに柔らかい口どけのハンバーガーは初めて食べました。ブッチャーというお肉屋さんが、自分たちが売るお肉をこういう形にして提供できるのは、本当にすごいなと思いました。味は濃くなくて、シンプルにお肉の味をチーズと一緒に楽しめたバーガーでした。

流石にお腹いっぱいになって、歩いているうちに消化されるでしょうと鷹を括っていたら、通りに私がジャンクフードの中で世界一好きな、フレンチフライの専門店が!!!
すごく悩みましたが、またいつか戻ってくることを自身に約束。今回は諦めました(泣)

それから多分5、6キロは歩いたと思います。夜のお食事をどうしようかと思って、やっぱりチェコのお料理を食べてみたいと思っていたので、地元でもとても人気があるお店にダメもとで入ってみると、ちょうど席を用意してくださって、オーセンティックなチェコ料理を食べることができました。牛肉のヒレ煮込みにクランベリーソースがかかっていて、それをスライスしたダンプリング(基本的に小麦粉の練り物を蒸して作るチェコならではのパンみたいなもの)と一緒にいただくものでした。主人がいつもデミグラスソースを何時間もかけて仕込むのですが、そのソースをもう1段階甘酸っぱくした感じの味がしました。とても美味しいソースだったので、ダンプリングをたっぷりのソースで食べていると、ウエイターさんがエクストラのソースの器を持ってきてくれて、「もっとたくさん楽しんでください」と!!今日は食べっぱなしだわ。。と思ったけれど、万歩計を見てみると15キロも歩いていました。

つづく

2025.7.3旅の記憶 #5

プラハ2日目。
写真にあるのは、15世紀に建てられた塔(火薬塔)で黄色い建物が市民会館。
実際に目の前に行くと、火薬塔の存在にまず圧倒されてしまいました。中世を色濃く残した壮大な造り。。。言葉が出ませんでした。


市民会館の入り口のモザイク

市民会館は、1911年に建設されました。チェコを代表するアール・ヌーヴォー&アールデコ様式建築の一つで、今も、あの「モルダウ」で有名なスメタナ・ホールでコンサートが開かれています。そして、そのホールの一部や2階の市長の間は、アルフォンス・ミュシャが全内装を手がけたことで知られています。幸いにも、その日は市民会館ツアーに間に合って、じっくりとその歴史について学ぶことができました。


スメタナホール(舞台の奥にスメタナと描かれたパイプオルガン)とミュシャが手がけた天井画


音楽だけでなく、ダンスもできる多目的ホールに設計されてるので、座席もアレンジできるようになっています。


当時にタイムスリップさせてくれる、最高のガイドさん。現在と過去を結ぶ、貴重な存在に思いました。


ツアーの醍醐味は、ホールだけではなく、その裏手にある建築も全て見せてくれるところ。写真は、Gentlemen’s Roomだった場所です。当時は、まだまだ男性の地位が上だったので、ホールのすぐ横のお部屋は、カフェになっていて、男性の観客達がこの部屋でくつろいでいました。カウンターにはカフェをプレスする機器もまだ残っていました。全体的なお部屋の構造もジェントルマンを意識した角っとしたデザインが印象的でした。

ジェントルマンズルームを抜けると、今度は非常に女性的な部屋が待っていました。全体的な丸みを帯びた、ドアカーテンにはマクラメ織が施され、とても柔らかい印象を受けました。男女の違いを建築の内装で表現している市民会館。とても興味深かったです。

そして、いよいよ、ミュシャが全内装を手がけた市長の間。
ミュシャがアーティストとして残した、人間の共存と平和への願い。
大変、冷戦、独立を経て、チェコの人々が守り続ける文化と歴史の認識に対する敬意が込み上げてきました。

当時から変わらない、クロークルーム。静かな場所で、感極まった自分の頭を少し冷やす思いでしばらくいました。

市民会館の一階のカフェ。ツアーで感じたチェコの人々の寛容で力強いスピリット。カフェをいただきながら振り返っていました。

つづく

2025.6.29積丹ブルーの灯り製作

今年も積丹ブルーの季節。
写真は、積丹半島に位置する素敵なお宿、なごみの宿いいださんの積丹ブルー。訪れたお客様に、積丹ブルーをお持ち帰りただきたいと、3種類の積丹ブルーのオリジナルキャンドルをご提案しています。今回は、濃いブルーのご用命。大きなキャンドルの方には、お馴染みの屋号をシルバーで描きました。早く積丹半島に行かなくては!と創りながら深いブルーに刺激されている自分。。。

そして、この写真は、毎年積丹ブルーのキャンドルを販売している小樽運河沿いのうんがぷらすさんに納品予定の作品です。あの、エメラルドグリーンが散りばめられた積丹ブルーを全体的なカラースキームで表現しました。お気に入りのブルーが見つかりますように。。。
積丹ブルーのキャンドルを創ると、短い北海道の夏が始まった気持ちになります。明日はおやすみなので、久しぶりに海風にあたりに下界に下りようかな。。

2025.6.27旅の記憶 #4

プラハ二日目。
今回滞在したホテルは、1910年代にオープン。アール・デコを建築や内装に一貫して取りいれた由緒ある場所でした。

外装、エレベーター、ドア、窓、階段、カーペット、壁紙、椅子、ソファ、壁のモザイク、カーテン、天井のモールディング、ベッドのヘッドボードに至るまで、室内の設が、全てにわたってアール・デコ様式でまとめられていました。

アール・デコの時代は、私は若い時からいつも引かれていました。直線と曲線の絶妙なコンビネーションが建築物に反映されて、それが女性のファッションにも影響していきました。クラシックなウエストラインをコルセットで締め付けるようなものではなく、さまざまな感覚が独特で自由になっていった時代だったのではと思います。ちょうど、先日札幌芸術の森美術館にて関わらせていただいた「コスチュームジュエリー展」においても、このアール・デコの時代のデザイン性溢れる作品がたくさん展示されていました。

モザイクで埋め尽くされた併設のカフェも、数々の芸術家や作家が足繁く通った、歴史ある場所となっています。

プラハの朝ごはん。シンプルなハーブオムレツにコーヒーとパンが最高に美味しかったです。
さて、これからミュシャの作品に会いに、市民会館へ歩いていってきます。

つづく

2025.6.26旅の記憶 #3

プラハに到着したのは5月8日の午後。
ホテルにチェックインして、すぐに街歩きを始めました。

それにしても、真っ先に飛び込んできたのは、果てしなく続く石畳。
車の道路もほぼ全て石畳。
路面電車も石畳。
もちろん歩道も石畳。

今日はこれから何キロ歩くのかしら。

その日は、チェコ共和国にとって、特別な日、戦勝記念日(解放記念日)でした。1945年にナチス・ドイツが無条件降伏を受け入れた日で、戦争の終焉とチェコスロバキア解体の終了を祝う記念日に、旧市街の広場や大通りでは、当時を偲ぶイベントが開催されていました。

写真は、天文時計のある旧市街広場が空襲にあった時の写真。現在の写真と比べると、プラハも年月を経て復興を遂げました。





歩行者天国になっている大通りでは、当時の車両がディスプレイされ、市民が自由に触れるようになっていました。そこには、戦火で命を落とした市民や兵士たちのストーリーのパネルがあり、たくさんの人々が立ち止まって読んでいました。バックでは、ジャズバンドが演奏していて、こうして80年前の歴史が生活の一部になっているような気持ちにさせるイベントのあり方が、とても素晴らしいと思いました。

中世から、プラハの歴史を刻んできた天文時計。ストーリーが深すぎて、思わず本を買いました。

チェコを代表する芸術家、アルフォンス・ミュシャも生涯にわたって、祖国チェコのために尽くした人でした。そのミュシャも、ナチス・ドイツに併合された際は最初のターゲットとして拘束され、その時に体を壊し、その衰弱が原因で命を落としました。明日は、そのミュシャがチェコに捧げた大作で知られる、市民会館に行ってきます。

つづく

2025.6.24旅の記憶 #2

仁川からプラハ(チェコ共和国)への約12時間の空の旅が始まりました。
ヨーロッパへは、2007年以来でしょうか。最後は母がまだ元気だった時に、二人でイギリスとイタリアに滞在したことがありました。コロナ禍を経て、テクノロジーも20年のうちに確実に進歩して、どんな感じになっているのでしょう。もうトラベラーズチェックは昔の昔になっていました。

私のキャリアに関係して、今回ヨーロッパを選んだ大きな理由は、2009年からずっと関わってきている美術展覧会のお仕事で、「展覧会の灯り」を創ってきたことが大きくあります。初めて美術館のお仕事をいただいたのは、札幌芸術の森美術館における、「ウィーン世紀末 クリムト・シーレ展」でした。それからはミュシャ、ブリューゲル、ロートレック、キスリング、ロベール・ドアノー、バルセロナ展などに関わらせていただいたりと、展覧会が掲げる主題と芸術家の半生を学ぶ機会に恵まれました。
今回の旅で、全ては観れなくともその中でもプラハのミュシャ、ウィーンのクリムトに焦点をあて、彼らの人生の舞台となった街、建築物、歴史、人間関係をたどれればいいなと思いました。

初めてのアシアナ航空。出発してから第一回目のお食事の頃、お隣に座っていたソウルからのご夫婦と仲良くなりました。機内食のメニューを丁寧に説明してくださって、今回プラハには10年ぶりの旅行だと教えてくださいました。奥様は長年ソウルの大学で作曲を教えてこられた方で、ご主人も大学で広告デザインを教えてこられて何年か前に退職されたそうです。とっても仲の良いご夫婦で、プラハでの滞在も今回は11日の日程でゆっくり過ごすのよ〜と終始楽しそうでした。

飛行機のGPSは、中国大陸横断、中東からバルカン半島の小さな国々をどんどん超えていきました。
あと1時間ほどで到着というアナウンスが来た頃、アシアナ航空さん独自の体操プログラムが流れて、乗客が一斉にストレッチ体操を促されました。なんて助かるのかしら!体操をしていたら、だんだん高度が下がってきて、一面にチェコの農村地帯の菜の花畑のイエローが目に飛び込んできました。あと少しで着陸!

つづく

2025.6.22コスチュームジュエリー展閉幕

4月に開幕した札幌芸術の森美術館でのコスチュームジュエリー展は、本日閉幕しました。
「コスチュームジュエリー」という概念を、歴史を纏ったコレクションの数々から、監修の小瀧千佐子さんの審美眼と深い情熱が伝わってくる展示によって、学ぶことができました。

会期中、ミュージアムショップにて「展覧会の灯り」をお手に取ってくださいました皆様、誠にありがとうございました。小瀧千佐子さんのコレクションからインスパイアされたモチーフを、一つ一つ製作していくことで、1910年代のコスチュームジュエリーのデザインを支えた職人達に想いを馳せながら、時代に影響を受けながらもそれぞれの進化を遂げていっている世界観に非常に感銘を受けました。

今回は、ミュージアムショップとポップアップイベントにて、宮平桐さんのオートクチュール刺繍のアクセサリー作品も、展覧会とのコラボレーションで大変ご好評をいただいていたようで、ご来場者の皆様の関心がさらに高まっていっているのを感じることができました。宮平桐さんは、只今大丸札幌店にて、明日6/24まで個展を開催中です。終日いらっしゃいますので、お近くの皆様是非足をはごんでみてくださいね。詳しくは、こちらからどうぞ。

明日は、閉幕後の静かな芸術の森美術館に搬出で行ってきます。こうして素晴らしい機会に関わらせていただき、美術館や札幌テレビ放送の関係者の皆様、そして、ご来場くださいました皆様に厚くお礼を申し上げます。ありがとうございました。

2025.6.21旅の記憶 #1

今日はもう、6月の夏至。
今月に入り、さて、ゆっくりと旅を振り返り、皆様に旅の記憶を共有できればと思っていたら、ちょっと疲れが出たのか、体調を崩してしまいました。ずいぶん長く療養にかかってしまい、ブログの更新が今日になってしまいました。楽しみにこのブログを読んでいただいていた皆様、ご心配をおかけしまして申し訳ございませんでした。やっとまた動き出せる体制が整いましたので、ご安心ください。
今日から、少しずつ旅を振り返っていきたいと思います。

旅の記憶 #1

5月7日。
初めて、新千歳空港の国際線のターミナルから、韓国の仁川に向けて出発しました。
北海道からは、日本列島の日本海側に沿って南下していきました。地震の影響が著しい能登のエリアもはっきり見えて、空から復興している能登半島とその周辺の人々に想いを寄せました。能登の前は新潟や鳥取、九州も見えてきて、地震の地域は全国なんだと痛感した時間でした。

3時間がもう直ぐ経つ頃、たくさんの島が浮かぶ仁川の地域に入ってきました。今回は17時間のトランジットでの仁川の滞在で、明日は早い出発なので、エネルギー温存でホテルでゆっくりと過ごすことにしました。

降り立つと、時間帯もあったのか、ほとんど人もいないで、入管は私がトップバッター。今は全てオートメーションが進んでいて、パスポートをかざしたら、検査官にGo Goと言われ、1分もかかりませんでした。

荷物の引き取りもなかったので、そのまま到着ゲートに着いたら、早速喉の渇きを潤すのとお金を使う練習をしようと現地のスタバみたいなところに行ったら、アイスコーヒーみたいなものがタッチパネル(これも全部オートメーションで、いちいち戸惑いました)にあり、それをタップしたらあっという間に準備されてお姉さんに呼ばれました。すごく喉が渇いていたので、ほぼ一気飲みの勢いで啜ったら、なんとこの味!!!コーヒーにオレンジジュースが混ざっていて、最初ごっくんしていいかどうか戸惑ったくらいの不思議な飲み物だったのです。でも、飲み進めていくと、実はちょっとクセになるくらい、それぞれ違った苦味のマリアージュが美味しくなってきて、日本に帰ったらお家で作ってみようと思ったくらいでした。

ホテルにチェックインしたら、目の前にロッテマートがありました。YAY🎶 私の旅のスタイルは、まず現地のスーパーに入ること。お夕食はそこのデリで韓国ならではの日常のお惣菜を色々と選んでお部屋で食べようと思いました。スーパーに入ってまずびっくりしたのが葉物のお野菜の種類の多さでした。多分、焼肉でサムチェとか、サラダにしても、とにかくいろんな葉っぱが売っていて、サラダ好きの私としては、なんでもっと仁川に滞在できるプランにしなかったのかと早速後悔。焼肉も日本のスーパーで売っているお肉や魚介のパックの2倍〜3倍はある大きなパックで、ありとあらゆるお肉の部位とたこやイカや貝類のグリル用パックが所狭しと置いてあって、地元の方たちが大きなカートにどんどん入れて行ってました。

写真は魚介のこれでも一番小さいパック。焼肉したい〜!

なんとなくですが売られている一つ一つの食料品の量がアメリカンサイズな感じでした。乳製品のチーズやヨーグルト、キムチ、お茶類やコーヒー、パンや冷凍食品の種類もすごかったです。レジのおばさんはすごく優しくて、初めてキャッシュでのお買い物だったので、丁寧にお釣りを数えてくださって、常連になりたくなりました。

ホテルにそのまま帰り、お惣菜を葉物と一緒に頬張り、その晩はゆっくりと寝て次の日に備えました。

早朝の仁川空港。朝の7時前なのにものすごい人でごった返していました。今回息子が、1年前に世界旅行した時のブッキングポイントを使って空港のラウンジを使えるようにしてくれていたので、朝ごはんはラウンジでゆっくりと食べることができました。

ビュッフェスタイルで、韓国ならではの体に優しいお豆腐のスープや朝から目移りしすぎて、少しずつにしました。

さて、朝ごはんもしっかり食べて、これでチェコ共和国のプラハへ、12時間の旅のスタートです。

つづく

2025.5.28無事に帰国いたしました

約3週間の旅行を終え、小樽の自宅に戻りました。

旅行中、皆様にブログで旅の様子を共有させていただく予定でしたが、私のホームページのサーバーのセキュリティが海外に対して働いて、ブログ更新のアクセスが閉ざされてしまいました。代わりに、インスタグラムで幾度かシェアをさせていただきました。楽しみにブログを読んでいただいていた皆様、ご不便をおかけし申し訳ございませんでした。

リアルタイムではありませんが、ゆっくりとこれから旅の記憶を辿って、旅先で感じたり学んだことなどを、写真を交えながら書いていければと思っています。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

米澤 純

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