Jun's Light

Jun’s Light | the beauty of transience

ブログBlog

2021.8.15梅干しとご飯

8月10日を境に、小樽の猛暑は跡形もなくスッと消えて、秋の匂いが少しする空気に変わりました。あんなに暑かったのに、たった1日の違いで、我が家では、オコタと暖房をリビングに用意しました。ここ何日か、日本列島を襲う尋常ではない豪雨と、猛暑と、「今日のお天気」の域をはるかに超えて、気候が変動している感覚を毎日経験しているように思います。私たち人間が営んできたいろんなことに向けて、空の向こうから大きな「NO」を突きつけられている感じも正直します。全国的に、記録的な浸水と命の緊急安全確保が発令されていて、そこに暮らす人々の気持ちを考えると…言葉になりません。

コロナ禍が長く続き、天災が続き、日常的に、命のことを考えない日はありません。今まで会えてた人とも、もしかしたらもう会えなくなるかもしれない。そんなことないでしょう、いつか落ち着けば会えるから、と言い聞かせることも、時間の長さには、時折押しつぶされそうにもなります。

今日は、終戦記念日。亡くなった母が、私たち兄弟が小さい時から、戦時中の疎開のことをよく聞かせてくれました。終戦の日には、必ず、「今日は、本当は梅干しとご飯だけの日よ。」と毎年言われて育ったので、私の子供達にも、自然にその言葉が出てくるようになりました。戦争を知らなくても、少しでも当時のことを想像することは、誰にでもできるはず。学生の時に、第二次世界大戦のことを深く調べていたこともあって、実際には、「白いご飯」なんて、庶民には夢のまた夢の話で、麦をふやかしてお汁を薄めてすすっていた人々の方がはるかに多かったことも学びました。だから、途中から、梅干しとご飯は、とても貴重で贅沢なことだったのだと意識するようになりました。「すいとん」も、父が疎開していた時、いつも唯一出てきた食事だったことから、今だに父にとっては、すいとんは懐かしいというより、辛い思い出が結びついている食事みたいです。

もう25年以上になりますが、留学先のロンドンで、アメリカの大学生グループとして受けたヨーロッパ史の授業で、第二次世界大戦を取り上げたときも、クラスには私が唯一の日本人で、あとは全て戦勝国の立場で授業が進んで行きました。原爆のことも、あれは、戦争を終わらせる為の必然だったと定義づけた教授に、私は手を挙げて、「私はそうは思うことができません」と発言した時に、なぜか涙が出てきて、その理由に優しく興味を持ってくれて受け止めてくれたのは、今でも大切におつきあいのある、アメリカ人とタイ人のハーフのルームメイトでした。人間は、経験しないと、色々な物事を本当に理解することはできないのかもしれないけれど、歴史が教えてくれることや、いろんなニュースが伝えてくれることを、想像力を最大限に持ってして、興味を持って理解を深めることは、日々少しずつでも積み重ねて行きたいなと思います。

TOP