連日猛暑続きの日本列島。
本州の皆様、お元気にされていますでしょうか。。。
台風に、猛暑に、自然災害は世界各地で起こっていて、もうちっとも映画の世界ではなくなりました。
今年のお盆の入りは13日とのこと。小樽の我が家の近くにある市立霊園も、車の列が多くなってきました。車のナンバーも、フェリーポートから直接小樽入りされたのではと思うくらい、全国津々浦々からと、お盆らしくなってきました。
そして、もうすぐ終戦記念日。
小さい頃から、母が、8/6,9,15になると、必ず、「本当はね、今日は梅干しとご飯だけにするべきなのよね。白いご飯も、当時は食べれなかったのだから。」と、言いながら、食事を準備していたのを思い出します。東京だっだから、夏もそうだし、3月の東京大空襲や、9月の関東大震災の時も、同じような会話が家庭でありました。
時は過ぎて、アメリカで大学に通っていた時、北西部エリアの大学生のグループとしてロンドンに半年間、留学する機会を得ました。単位も交換できるし、せっかくだから、ヨーロッパの歴史を選択しようとヨーロッパ近代史の授業を取りました。グループとしても、40名近くのアメリカ人の生徒の中に、私だけ日本人でした。その年は、ちょうど戦後50周年のD-Dayパレードもロンドンで企画されていた年で、多くの注目は、そのパレードに敗戦国のドイツを招くかどうかでした。授業でも、様々なディスカッションが交わされる中で、日本に対する原爆投下に関しては、まさに正当性のあるもので、そのおかげで戦争が終わったという認識のクラスメートがほとんどでした。
私にとっては、とてもショックな見解の連続で、自分の中で、このままマイノリティーだからという理由で、黙ってスルーするべきなのか短い時間でしたが、とても悩みましたが、受け身だけではなくてやっぱり何か言わないといけないという気持ちになりました。汗がじわっと出てきて、足はガクガク。でもこれは授業なんだから、素直な気持ちを述べればいいんだと思ったのを覚えています。日本人として、私が生まれる前の戦時中と戦後を想像しながら、私がそれまでに家族や社会に教えられる中で得た認識を訴えました。最後にいかなる理由でも、核兵器は絶対に無くさないといけないと言ったとき、涙が流れてきて、それ以降はあまり言葉になりませんでした。みんなの顔もどうだったかよく覚えていないけれど、クラスはシーンと静まり返り、教授も言葉を選びずらそうにまとめていました。その放課後、ルームメイトのアンジェリーとホストファミリーの家に帰る途中、「私のお母さんはタイ人でお父さんはアメリカ人でしょ。それぞれの国の認識をシェアすることは、とても大切だと思う。今日はクラスで言えてよかったよ!」と優しい言葉をかけてくれたのを覚えています。
そして最近、連載のある記事が掲載されていたのを読みました。日本人の精神科医でもある内田舞さんの経験は、私の大学時代に幾度も遭遇した経験と、とても似ていて、言葉で明確に、どう理解していけばいいのかを示してくださっていました。初めて、私も心のモヤモヤが少し晴れてくような感覚になり、とても救われた気持ちになりました。
今年の我が家のお盆のお花は、白から離れて、百合も菊も、蘭も、みんな紅の仲間にしました。
ヒバとあわせたら、夏でも暑苦しくなく、元気が湧いてきました。