2025.7.29旅の記憶 #11

ウィーンの朝ごはん。
まずはカフェラテを頼むと、ハートのマークのミルクフォームを笑顔で持ってきてくれました。驚いたのは、パストラミやハム、そしてパンの種類の多さ!
気になったライ麦のパンをたっぷりのハーブクリームチーズとハムとベーコンでいただきました。
朝ごはんを食べながら、日本から持ってきたお気に入りのガイドブックを熟読。今日はジークムント・フロイト博物館とベルベデーレへ行こうと決めました。地図を見ると歩けそうな距離。行ってみよう!


美術史美術館と自然史博物館の間にある手入れの行き届いた庭園を潜っていくと、ウィーンの市庁舎を抜け、緑の公園が広がってきました。

公園の入り口付近には、オーストリアの「祖国の父」と称されているカール・レンナーの記念碑に花が手向けられていました。カール・レンナーは、第一次対戦後の最初のオーストリア共和国のリーダーとなり、またナチスによる政権崩壊直後のオーストリア共和国も率いた政治家でした。東西の分断が必然だとされていた中、それを何とか回避したことは、今もオーストリアの人々の心に深く刻まれているのではと思いました。

しばらくゆっくりとしていたら、なんか視線を感じたので足元を見てみると、そこには鳩さんよりも2回り小さい真っ黒な鳥さんがいました。日本語だったけれど、「あなたどうしたの〜?」と話しかけると、逃げもしないで、私の周りをうろうろしているのです。

ふっと頭を過ったのは、去年の春にお別れした我が家の愛鳥、ルルちゃん。もしかしたら、私と一緒に旅をして見守ってくれているのではと思ったら、泣きそうになりました。
なかなかお別れするのは辛かったですが、「またね」と公園をあとにしました。


ウィーン大学を左に見ながら、トラムが交差する大きな交差点を過ぎると、閑静な住宅街が広がっていました。
もうそろそろフロイト博物館があると思うのだけれど。。。

なだらかな坂を降りていくと、見えてきたドア。表札のベルをならし、階段を上がりドアを開けると、フロイト精神分析の世界に引き込まれた気持ちになりました。


ここは、フロイトが50年も自宅として暮らし、研究、診療していたオフィスでもあった場所。精神分析学の発祥の地とされています。当時のフロイトが執筆した様々な研究資料、家族たち、精神分析に使われていた旅から持ち帰った異国情緒あふれるオブジェの数々…。

あの有名なソファに寄りかかりながら、ここで夢診断がされていました。


当時住んでいた時の家の壁紙や家具の配置、子供たちの精神分析の場所となった中庭の見えるお部屋、診察室の情景など、私たちがイメージしやすいように細部に渡って構成されている博物館でした。

また、精神分析の概念が、私たちの無意識の世界を理解する手掛かりになり、現代の精神医学のベースとなっていることを、今実際に精神分析研究している学者たちや精神分析を用いてカウンセリングしているセラピストたちの様々なインタビュー映像を通して学ぶことができました。朝早かったのに、来場者が多くてちょっとびっくりしたのですが、ここまで深く分かりやすく精神分析のことを学べる場所がフロイトのお家で、本当に世界中からここを目指してきているんだと思うと、最もだと思いました。

フロイトのドクターズバッグ。
初めて訪れたのに、すごくプライベートでパーソナルな空間。心地よくて名残惜しかったのですが、博物館をあとにしました。

地下鉄で、ベルベデーレ宮殿を目指して出発。

ベルベデーレ美術館の上宮、ずっと観てみたかったグスタフ・クリムトの絵画とオスカー・ココシュカの絵画を目指します。
つづく
2025.7.26旅の記憶 #10
ウィーンでの今回の一番の目的は、グスタフ・クリムトが1897年に他の芸術家と共にそれまで所属していた保守的な美術家協会を脱退し、新たな芸術家団体「分離派」を立ち上げ、翌年その象徴ともなる建築物「セセッシオン(分離派会館)」を訪れることでした。

通称「金のキャベツ」と呼ばれている月桂樹の葉の球の形をした装飾は、とてもシンボリックで、なんだか魔法にかかったかのように、その場所からいつまでも離れたくない気持ちになりました。


入り口にある、ラピスラズリ色のモザイクの植木鉢、そして3人のメデューサたちが迎えてくれました。

分離派会館のハイライト、クリムトが制作した「ベートーヴェン・フリーズ」。壁一面に描かれたこの作品は、長さが34mもある大作。1902年のベートーヴェンの展覧会のためにクリムトが手掛けました。これは、ベートーヴェン交響曲第九番を視覚的に解釈・表現したものでした。









地下には、一人だけ学芸員のお爺さんが立っていて、私にヘッドホンを渡して手振りでどうやって鑑賞したらいいかを教えてくださいました。壁をゆっくりと巡りながら、ヘッドホンから流れてくる臨場感あふれるベートーヴェンの第九。クリムトが描こうとしていたテーマ。壁画を観ると涙が止まらなくなってしまったので、中央にあるベンチにしばらく座って下を向いて目を瞑っていました。そのまま約1時間はいたでしょうか。最後に学芸員にヘッドホンを手渡して階段を上がりました。


音楽と絵画の究極のコラボレーション。
時代を経て、クリムトの精神が宿っている分離派会館。
また必ず訪れたいです。
2025.7.20旅の記憶 #9

ウィーンのホテルに到着してから、まずは一息。
新しいホテルでしたが、コンセプトが”Earthbound Design”のインテリアは、サンドカラー(砂)と有機物の曲線をなるべく天然の素材で表現して、ミニマリスティックに構成されていました。全てが絶妙に主張しない創りで、とっても心身に優しく馴染む環境に、旅の疲れを芯から癒してくれました。異国で初めての感覚。

できればずっとあと1週間くらいこのホテルにいれたら最高なのに。。。と思いながら、今日中に予約していた美術史美術館へ行く準備にかかりました。ホテルはちょうどミュージアム・クウォーターと呼ばれる美術館地区にあるため、レオポルド美術館、自然史博物館、近代美術館が立ち並ぶ界隈で、市民の文化的な憩いの場でもあるので、それだけでもう何日も滞在できる場所でした。

美術史美術館。古代〜19世紀までのヨーロッパ各地の美術品を収蔵する壮大な建物に息を飲みました。

来場者を出迎える階段上の壁画は、グスタフ・クリムトが担当したもの。今回の旅の大きな目的の一つ。

キャンバスの上だけではない、建築物の装飾美を創り出す芸術家として関わっていたクリムトの作品を観れたのは圧巻でした。どこか、エキゾチックさもあり、従来の伝統的な枠から更なる昇華を目指しているような、まさに分離派を率いたクリムトのエッセンスを醸し出していました。

美術史美術館は、ブリューゲル一族の作品を多く収蔵していることでも知られています。これはその中でも世界的に有名なピーテル・ブリューゲル1世の傑作「バベルの塔」。その他、「雪中の狩人」をはじめとするたくさんの作品が展示されていて、札幌芸術の森美術館で、2018年にブリューゲル展の展覧会の灯りを制作した時のことを思い出しながら、深い色使いと詳細な人物像の感情表現に見惚れていました。

こちらはフェルメール。光の取り込みと全てのものの質感。なんて美しいのでしょう。
数少ないフェルメールの作品は、思ったよりも大きくて、ゆったりとした静かな空間にさりげなく飾られていました。
観覧の列もなく、来場者たちが譲り合いながらゆっくりと絵を鑑賞する空気がとても心地よかったです。

ホテルに戻ると、バルコニーから見えたのはサンセットの空とウィーンの街。

照明を付けずにいたお部屋は、気づけば天窓から月あかりに照らされた空間に変わっていました。
静かに流れる独りの時間。
つづく
2025.7.18父とのデート

先月から、少しずつ父の病院への送り迎えなどが増えてきました。
検査や待ち時間でちょっと疲れ気味の父も、気持ちは楽しいことをいつもしたい性格なので、頑張ったあとは、遅めのお昼ご飯から〜デートの締めはカフェのデザートへはしごするのがちょっとした楽しみになっています。
札幌から小樽に帰る途中に車で立ち寄れるカフェを見つけて、すっかりお気に入りになったようでした。
私はどちらかというと、甘いものよりもしょっぱい派なのですが、「半分ずつ」を合言葉に、パフェを父と注文。
思ったよりも甘くなかったので、二人で美味しい美味しいと大満足!「ここはいい、また来よう」と父も喜んでくれました。
思えば、東京の三鷹で幼年時代を過ごした私は、当時定時制高校の教員だった父が昼間はいたので、二人でスクーターのラッタッター(ご存知の方いるかしら)に乗って、お気に入りのお店によくランチに連れて行かれました。その時の味覚が結局今の私の味覚になっているので、こうして父との会食が多くなった今、注文するメニューも二人同じような似通っているものになってしまいます。
そんな過去の思い出も巡りながら、父との時間を少しずつ大切なものとして意識するようになりました。
一日、一日を、Quality of Lifeを大切に、関わって行きたいと思います。
2025.7.14旅の記憶 #8

今日は、プラハからウィーンへ。ヨーロッパ鉄道の旅のはじまりです。
ホテルからプラハ中央駅まで、石畳の道を歩きながら、あらためてその歴史と文化に裏打ちされたどっしりとした存在の街に、再びまた来れることを願っていました。ホームには、朝8時過ぎなのもあって、人はあまりいませんでしたが、お隣の国々からか社会科見学のような学生たちの集団がたくさん到着していました。みんな荷物は持っていなかったので、こうして気軽にプラハに来れるなんていいなあと思いました。


いよいよ列車に乗り込み、シートに座ると、すぐに列車は出発しました。どんどんプラハの街が過ぎていき、あっという間に郊外になり、小さなが集落が点在し始めました。どんな暮らしをみんなしているんだろう。きっと都会にはない豊かさと厳しさがそこにはあるのかな、とか、冬は雪はどうなのかしら、など、色々な想像のストーリーが頭の中を巡りました。

停車駅の始めの駅を過ぎた頃、車内アナウンスが流れて、前の列車が人身事故で遅延となり、それを受けて1〜2時間ほどウィーン到着が遅れるとのことでした。

遅れると聞いたら急にお腹が空いてきて、熱いコーヒーと一緒にサンドウィッチを車内で購入。とにかくチェコはパンが美味しい!!すると、ゆっくりと進む列車の車窓から、チェコの農村地帯が広がって見えてきました。

どこかの農村の駅に停車したら、満開の花が石の壁いっぱいに咲いていました。なんて素敵な車窓なのかしら。


農村地帯がずっと空と出会う地平線を横に見ながら列車は国境をもうすぐ越えて。。。そして見えてきたのは、プラハに降り立つ前に空の飛行機から見えた、見渡す限りの菜の花畑のパレット!イエローの素晴らしいこと。

2時間遅れでしたが、私にとってはあっという間に列車はウィーンに到着。ウィーン中央駅は、プラハよりもスケールが大きくて、時間もお昼過ぎだったのでたくさんの人で賑わっていました。

初めは荷物もあるし、近いからタクシーで行っちゃおうかしらと思いましたが、タクシーの運転手さんたちが何だかグループでつるんで人の足元を見て価格設定してきたのが見え見えで、これなら地下鉄で全然大丈夫でしょ、といくつかのバカ高いオファーをお断り。U1のサインに沿って、地下鉄でホテルに向かおうっと。ちゃんと辿り着けるかしら。。ドイツ語読めるかしら。。。多分何とかなるから大丈夫❤︎


地下鉄が思ったよりもとってもわかりやすくて速かったので、ほんの5分ほどでホテル最寄りの駅に到着。

そして…、念願のホテルに到着しました。青い空、白い雲。もうウィーンが大好きになっている私。

つづく
2025.7.9旅の記憶 #7
プラハの滞在も終わりに近づいてきました。

想い出ボックスを日本に送ろうと思い、訪れたのは郵便局の本局。
中に入ると、一気にタイムスリップしました。ここは建物の中なのか外なのかわからなくなってしまうくらい広いスペースに、それぞれのガラスの窓口があり、自分の番号を呼ばれて用件を済ます仕組みでした。

ちょうど私が行った時間は空いていたので、三十代くらいの女性の担当者にすぐに呼ばれました。
チェコ語が話せない私をすぐに察して、英語で丁寧に手続きに取り掛かると、「日本行き」の文字を見て、「あなた日本から来たの!?私いつか行ってみたいと思っているの!」と、満面の笑みに。彼女の英語がおそらく第3か第4カ国語のように聞こえたので、「もともとどこ出身なの?」と聞いてみると、「ウクライナなの。」
その瞬間、なんとも言えない気持ちになって、思わず私が手を胸に当てて大きく頷くと、彼女もそれを受け止めてくれて、二人でしばらく無言で見つめあっていました。手続きが終わり、「ありがとう、頑張ってね」とお辞儀して郵便局を後にしました。



なんだか胸がいっぱいになりながら、街歩きを続けると、靴の仕立て屋さんだったり、お菓子屋さんが立ち並ぶ裏路地に入って行きました。観光客も少ない地域なので、時折地元の人たちが外で仕事の合間にタバコを吸いながら休憩している光景が印象的でした。


ショッピング街が立ち並ぶエリアも、プラハ独自の建築美を満喫できました。結構工事中のところも多かったように思いました。でも、あくまでも内装の工事で、建物の外装はこれまでの歴史と様式美をそのまま引き継ぐようにしているようでした。



路地を進んでいくと、必ずにぎやかな大通りに通じているので、ポイントとなる建物とアナログ地図を手がかりに、目指すはカレル橋へ。


真っ青な空に、夕陽がプラハの街を照らす時間。
モルダウ川に沿ってゆっくりと歩いていくと、カレル橋が見えてきました。
ショートビデオも撮ったので、こちらをクリックしてみてくださいね↓
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明日はいよいよウィーンへ。
つづく
2025.7.6旅の記憶 #6

プラハでの2日間は、全て徒歩で街を巡りました。おかげで、地理感がすぐについて、ラストの方は近道もできるように(笑)。

まさかプラハにあると思わなかった、Hard Rock Cafe。旧市街の一角にあるのですが、外壁がとても印象的で、今まで世界で見かけた中で一番街に馴染んでいました。




私は街歩きをすると、小樽でもつい建築物のドアに目が行ってしまって、プラハでもたくさんのドアの写真を撮りました。ドアの向こうにどんな人たちが住んでいて、それぞれに人生があって、長い歴史とストーリーがある…、と色んな想像を巡らせていくと、その街が少しずつ心に近い存在になってきて、豊かな気持ちになるのです。





そして、プラハでのお食事も、街を知るきっかけになりました。

ここは分厚いミディアムレアのビーフハンバーガーで有名なお肉屋さん。MUSEのシェフの主人がハンバーグ職人なので、少しでもお土産話ができるかなと思ってトライしてみました。

こんなに柔らかい口どけのハンバーガーは初めて食べました。ブッチャーというお肉屋さんが、自分たちが売るお肉をこういう形にして提供できるのは、本当にすごいなと思いました。味は濃くなくて、シンプルにお肉の味をチーズと一緒に楽しめたバーガーでした。

流石にお腹いっぱいになって、歩いているうちに消化されるでしょうと鷹を括っていたら、通りに私がジャンクフードの中で世界一好きな、フレンチフライの専門店が!!!
すごく悩みましたが、またいつか戻ってくることを自身に約束。今回は諦めました(泣)

それから多分5、6キロは歩いたと思います。夜のお食事をどうしようかと思って、やっぱりチェコのお料理を食べてみたいと思っていたので、地元でもとても人気があるお店にダメもとで入ってみると、ちょうど席を用意してくださって、オーセンティックなチェコ料理を食べることができました。牛肉のヒレ煮込みにクランベリーソースがかかっていて、それをスライスしたダンプリング(基本的に小麦粉の練り物を蒸して作るチェコならではのパンみたいなもの)と一緒にいただくものでした。主人がいつもデミグラスソースを何時間もかけて仕込むのですが、そのソースをもう1段階甘酸っぱくした感じの味がしました。とても美味しいソースだったので、ダンプリングをたっぷりのソースで食べていると、ウエイターさんがエクストラのソースの器を持ってきてくれて、「もっとたくさん楽しんでください」と!!今日は食べっぱなしだわ。。と思ったけれど、万歩計を見てみると15キロも歩いていました。
つづく
2025.7.3旅の記憶 #5

プラハ2日目。
写真にあるのは、15世紀に建てられた塔(火薬塔)で黄色い建物が市民会館。
実際に目の前に行くと、火薬塔の存在にまず圧倒されてしまいました。中世を色濃く残した壮大な造り。。。言葉が出ませんでした。

市民会館の入り口のモザイク
市民会館は、1911年に建設されました。チェコを代表するアール・ヌーヴォー&アールデコ様式建築の一つで、今も、あの「モルダウ」で有名なスメタナ・ホールでコンサートが開かれています。そして、そのホールの一部や2階の市長の間は、アルフォンス・ミュシャが全内装を手がけたことで知られています。幸いにも、その日は市民会館ツアーに間に合って、じっくりとその歴史について学ぶことができました。


スメタナホール(舞台の奥にスメタナと描かれたパイプオルガン)とミュシャが手がけた天井画

音楽だけでなく、ダンスもできる多目的ホールに設計されてるので、座席もアレンジできるようになっています。

当時にタイムスリップさせてくれる、最高のガイドさん。現在と過去を結ぶ、貴重な存在に思いました。

ツアーの醍醐味は、ホールだけではなく、その裏手にある建築も全て見せてくれるところ。写真は、Gentlemen’s Roomだった場所です。当時は、まだまだ男性の地位が上だったので、ホールのすぐ横のお部屋は、カフェになっていて、男性の観客達がこの部屋でくつろいでいました。カウンターにはカフェをプレスする機器もまだ残っていました。全体的なお部屋の構造もジェントルマンを意識した角っとしたデザインが印象的でした。



ジェントルマンズルームを抜けると、今度は非常に女性的な部屋が待っていました。全体的な丸みを帯びた、ドアカーテンにはマクラメ織が施され、とても柔らかい印象を受けました。男女の違いを建築の内装で表現している市民会館。とても興味深かったです。





そして、いよいよ、ミュシャが全内装を手がけた市長の間。
ミュシャがアーティストとして残した、人間の共存と平和への願い。
大変、冷戦、独立を経て、チェコの人々が守り続ける文化と歴史の認識に対する敬意が込み上げてきました。

当時から変わらない、クロークルーム。静かな場所で、感極まった自分の頭を少し冷やす思いでしばらくいました。



市民会館の一階のカフェ。ツアーで感じたチェコの人々の寛容で力強いスピリット。カフェをいただきながら振り返っていました。
つづく
2025.6.29積丹ブルーの灯り製作

今年も積丹ブルーの季節。
写真は、積丹半島に位置する素敵なお宿、なごみの宿いいださんの積丹ブルー。訪れたお客様に、積丹ブルーをお持ち帰りただきたいと、3種類の積丹ブルーのオリジナルキャンドルをご提案しています。今回は、濃いブルーのご用命。大きなキャンドルの方には、お馴染みの屋号をシルバーで描きました。早く積丹半島に行かなくては!と創りながら深いブルーに刺激されている自分。。。

そして、この写真は、毎年積丹ブルーのキャンドルを販売している小樽運河沿いのうんがぷらすさんに納品予定の作品です。あの、エメラルドグリーンが散りばめられた積丹ブルーを全体的なカラースキームで表現しました。お気に入りのブルーが見つかりますように。。。
積丹ブルーのキャンドルを創ると、短い北海道の夏が始まった気持ちになります。明日はおやすみなので、久しぶりに海風にあたりに下界に下りようかな。。
2025.6.27旅の記憶 #4
プラハ二日目。
今回滞在したホテルは、1910年代にオープン。アール・デコを建築や内装に一貫して取りいれた由緒ある場所でした。









外装、エレベーター、ドア、窓、階段、カーペット、壁紙、椅子、ソファ、壁のモザイク、カーテン、天井のモールディング、ベッドのヘッドボードに至るまで、室内の設が、全てにわたってアール・デコ様式でまとめられていました。




アール・デコの時代は、私は若い時からいつも引かれていました。直線と曲線の絶妙なコンビネーションが建築物に反映されて、それが女性のファッションにも影響していきました。クラシックなウエストラインをコルセットで締め付けるようなものではなく、さまざまな感覚が独特で自由になっていった時代だったのではと思います。ちょうど、先日札幌芸術の森美術館にて関わらせていただいた「コスチュームジュエリー展」においても、このアール・デコの時代のデザイン性溢れる作品がたくさん展示されていました。

モザイクで埋め尽くされた併設のカフェも、数々の芸術家や作家が足繁く通った、歴史ある場所となっています。

プラハの朝ごはん。シンプルなハーブオムレツにコーヒーとパンが最高に美味しかったです。
さて、これからミュシャの作品に会いに、市民会館へ歩いていってきます。

つづく
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